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貧困研究 vol.9 インタビュー掲載

2012年12月 貧困研究 vol.9 にK2インターナショナルグループ代表金森克雄のインタビューが掲載されました。

『貧困研究』第9号

抜粋

貧困研究

この人に聞く 第9回
金森克雄(K2インターナショナルグループ代表)

若者支援の現場にも貧困問題の影響が顕著に

第9回は、二ー卜・ひきこもりなどの若者の自立支援活動を行い、また「仕事づくり」の一環としてもさまざまなビジネスを展開している金森克雄氏をお招きしました。
現場の事情に詳しいスタッフの岩本真実氏にも参加いただいています。
若者支援の現場での長年の活動から、「経済的な貧困」だけではなく、家庭の問題や精神的な部分も含めての「広い意昧での貧困」が広がっているのでは、というお話がお聞きできました。

困窮家庭にも「不登校・ひきこもり」が増えている

村上 金森さんは若者の自立支援をされているということですけれど、そのなかで最近、家庭の貧困だとか、そういう問題に注目され始めたと伺っています。そのへんも含めてお聞きしたいと思います。まずは、これまでの活動の経緯を少しお話ししていただけますか。

金森 もともとは1980年代の終わりくらいですね、私が所属していたヨット関連の会社のCSR活動でした。欧米で非常に盛んだったのですが、ヨットとか海の航海を通じて困難を抱えた若者たちが元気になっていくという活動を自分たちもやりたいということで。日本でそのころに少し問題になりかけていた不登校の問題に対し、海とヨットを通じて何か貢献できないか? ということからスタートしたわけです。90年代になり会社の事業としては立ち行かなくなり、最終的には私がその部門を全部引き受けて独立しました。もうどっぷりその中に自分が入っちゃった、ということです。当時はバブルの最後のほうでしたから、特別富裕層と言われるような人ではないにしても、経済的にはそれほど困らない人たちを対象にスタートしたのは事実ですね。学校に行けないとか、問題行動を起こすとか、家にひきこもってしまうという若者たちが中心だったんです。そういう流れのなかで1990年の初めからバブルが崩壊していく。対象としてだんだんと、貧困と呼ばれる状況の若者が増えていったという経緯があるんですね。
私たちはそういうところにもどんどんシフトしていきました。最初のうちは、明らかにこれは思春期の「一過性」の問題であろう、ということでした。たとえばいじめにあったとか、家庭内にいろいろなことがあったとか、思春期の教育ストレスのために学校に行けなくなったり、一時的な問題を抱えてしまった。その当時のなかでもどうも、「一過性」とは感じられないような若者がやはり何割かは混じっていた、ということはありますよね。これがだんだん注目されるようになってきて、それが発達障害というか「発達凸凹」の問題であったり、また貧困の問題であったりというようなことが、現場の中で見えてきました。時代背景がすごく大きい部分なんじゃないかな、と思います。
当時は、「若者支援」なんていうのは本当に話題にもならなかった時代ですよね。高齢者や障害をもっている方の支援はあったんですけれど、若者支援というのはものすごく違和感があってたぶん言葉もなかったんじゃないかな?「世界でいちばん恵まれている若者の国」などと言われていましたから、そのとき。それが今、20年たった段階で、本当に若者支援ということがメインストリームになってきているということに、私自身、二十数年やっている者としては、時代の変化を感じます。
若者たちの貧国ということについて私たちが考えるのは、経済的な貧困だけではなく、家庭の機能不全や精神的な問題などを含めた「広い意味での貧困」が広がっているのではないか、ということです。そういう意味で、私たちが支援してきた若者たちは、広い意味での貧困のなかにいるのだと思います。

村上 当初は不登校の若者というのは、年齢的にはどのくらいでしたか?

金森 もともとは中学生で不登校というケースが中心で、15-16歳を中心とした10歳代の若者たち。
公立の中学校に1年生から行っていないような対象者を出席扱いにしながら、一緒にいろんな冒険の旅に出る、みたいなプロジェクトがあったんですね。

村上 中学生でヨットとかそういう冒険をしたりすると、元気になって?

金森 みるみる元気になるのです。「不登校・ひきこもり」というけれど、それまで家のなかでじ~っと縮こまっていたのに冒険の旅でまっ黒けになってお喋りになっていく姿を見たときに、これは本当に意味があることなんだな、と思いました。よく勘違いされますが、彼らは「反社会的」な存在ではなく「非社会的」な存在なんです。そこから「社会的な存在」に変わるということですね。でも、ヨット航海から帰って来て3ヶ月は元気がいいけど、またもとのもくあみになってしまうケースもありました。せっかくあんなに元気になったのだから、そのあと何とかしたい、ということがあって、今度は「共同生活」の方向に向かっていくわけですね。横浜で始めて、ニュージーランドに行ったり他の地域に行ったりするんですけれど。親とか家族とかと完全に離れた状態になることで、本人たちを長期的にみるということが課題です。一つのプログラムをこなして終わり、というんじゃなくて、ずっとつながっていくという方法をやっていこう、と。生活支援の部分をいかに継続していけるか、みたいなことが大事かな、というふうに思っていますね。

村上 長期的な共同生活にも慣れてくると、「非社会的」な隔たりがあったのが、社会的な存在へと変わっていくわけですね。

金森 私が考える、そういう若者たちに対する受け止め方というのは、まず第一段階として「受容」です。昼夜逆転していたり、24時間全く働かなかったり寝て暮らしたりとりとめのないゲームをして暮らしている若者たちが、まず私たちのところを気にいるというか、安全な場所だと思うように「受容」する。第二段階として、彼らが受容されたという感じをもった段階から、生活を共にするということで、食事を作る・片づける・挨拶するみたいな規則正しい生活へと改めて「育て直し」をするという期間があるんです。その次に第三段階、「社会的なスキル」を身につける期間ですね。学校にまた行こうよ、こういう資格をとろうよ、とかいうことです。今は年齢の高い若者も多いので、就労に結びつけて実践していますけれど。ただし、私の考えでは、その次の第四段階が大事なんですね。そういう若者が、自分が誰に支援されたか、どういうかたちで支援されてどんな想いで支援されたか、ということを自分が自覚して今度はそれを「pay it forward」 (次へ渡す) しないと。

村上 次は他のメンバーに、ということですか?

金森 自分がされたことを後輩や他のメンパーに対してちゃんとできるか、支援の順送りができるかということが大事です。受ける側から与える側へ、という支援の循環が。ところが現実は、第一段階の「受容」があると親はすぐにもう学校に行かせたがる。学校に行ったら、資格が取れたら、すぐに働かせたい、という方向で、二番目と四番目が抜けるんですね。

村上 ひきこもりになってしまうような方は、きっかけとかはそれぞれだと思うんですけれど、どんな悩みとか生きづらさとかを抱えているのですか?

金森 それは本当に百人百色です。かつては、ひじょうにわかりやすいかたちが多かったですね。
やはり教育ストレスがあったり、ある種のいじめがあったり、ということがありました。抵抗力があまりにもなかったり、一面の価値観ばかり植えつけられているものですから、そこからはずれてしまった途端、すぐドロップアップしてしまうみたいな感じの若者が多かったですね。そして、学校に行かないことで自分の劣等意識をはぐらかす、というかたちで不登校になっていった、といったケースです。やはり「ひきこもる」要因のなかには、親の対応というのが必ずあります。親子問題と家庭の問題というのはひじょうに大きな要因でしょう。

村上 今伺ったのは、比較的余裕のある家庭のことかと思いますが、だんだん状況が変わってきたということですか。

金森 そうですね。経済的に明らかな困窮家庭にもそういうことが起きているということが、この5年、10年の顕著な特徴だと思うんです。やはりそれは時代背景がきちっとあって、「少子化」の影響で、貧困家庭であっても子どもは一人か二人で、子ども中心の家庭を作ってしまいがちなんですね。そうすると、以前は経済的に困窮していない家庭、教育ストレスの高い子たちに起こっていたことが、貧困家庭でも同じように起こってきたわけですよ。家庭は貧しいのに、子どもは本当に信じられないくらい、豊かな家の子どものような振る舞いしかしない。まるでどこのお嬢様かな? と思って聞いたら、生活保護世帯であると。これは現場としてはすごくショックであるし、衝撃的な事実だと思うんですよ。
やはり戦後の貧しい世代は何とか這い上がろう、という思いがありましたから、少なくとも乳母日傘で育った豊かな家庭の子よりは、いい意味でも悪い意味でもしたたかさとか、生きていくノウハウみたいなものをもっていたわけじゃないですか? 今は貧しい家庭の子が「いいんだよ、いいんだよ」と言われて育てられるから、本当に飢餓感を育てられておらず、頑張ろうという意欲が全く見られない。そういう貧困家庭の若者がものすごく多いんですよね。戦後のひずみがここにものすごく出ていると私は思いますね。

村上 貧困世帯の支援対象者が増えてきたというのは、いつ頃からですか?

金森 この5年ほどの問で、加速度的に変わってきた感じはしますね。1992~3年あたりから徐々にそういうふうな状況は生まれてきたとは思うんですけれど、明らかに2000年を越えてこの5-6年、私たちも看過できない、特別にそのことを研究しなくてはいけないくらいな状況になったことは事実です。そういうなかで、定時制高校だとか就労支援施設だとかというところ、また行政とも関わりができてきました。2003年に政府が「若者自立・挑戦プラン」lを策定して、それ以降、国の財政的な負担によるフリーター・ニート対策が進められましたが、それから急に利用層が広がったという印象があります。それまでは困窮世帯の対象者は人づてで紹介されたり、児童相談所などから問い合わせがあったりしたのですが、ネットなどを見て相談に来る人が増えました。

入口支援、生活支援、中間就労支握の充実を

村上 先ほどのお話にあった「第三段階」以降でしょうか、社会的な習慣を身につけていって就労に結び付けていくような支援をされているということですけれど。

金森 私たちは「出口支援」の前に「入口支援」をしなければならない、と考えています。「出口支援」というのは、とにかくその人にスキルをつけて社会にすぐ入れられるようなことをできるだけ教えて、マッチさせていこうとすることを言うんですけれど、それ以前の段階で「こんにちは」Iおはようございます」といった基本的なこと–本来家庭で躾けられたり、義務教育のなかで当然得ていいようなもの–が得られていない。そこの部分をきちんとしなければならない、というようなことをとても感じます。嘘をつくとか、時間に遅れるとか、すぐに何か不満を言うとか、基本的なことができていない子があまりにも多いんです。それを受け止めてやって、きちんとした生活支援を十全にする期間をもつ。そして、一挙に就労に結びつけるのではなくて、中間就労のなかでちゃんとみてあげる。それによって働くようになる時期が若干遅れたとしても、促成栽培みたいにした結果数ヶ月後、1年後に仕事を辞めちゃって、またそこから3年・5年ひきこもった、という結果にはならないと思うんです。
親御さんが「何とかうちの息子を就職させたいんですけど」と言うので、「何であなたの息子は就職できないと思いますか?」と聞くと、必ず「コミュニケーションが下手なんで」とか、「学歴がない、学校に行っていない」とか言うんです。だけど現実には、本当に基本的な、自分で食べたものは自分で片づけるし、片づけるときにそこに人のものがあれば一緒に持って帰るくらいのことができるかどうか、ということが重要なんです。きちんとした「入口支援」、それから「生活支援」、そして「中間就労支援」といったことを充実させていくしかない。私はやはりそれは、共同生活を行う方法論しかない、と思っています。生活の建て直し、みたいなことから始めないと。

村上 共同生活というのは、人によってかなり差はあると思いますけれど、大体どのくらいの期間となりますか?

金森 それは本当にいろいろな期間があると思います。3ヶ月、半年かもしれないし、2年かもしれない。私は、ある種の課題を抱えたら、それと同じくらいの時聞が支援には必要だと思っています。中・高校を卒業してから5年間そういう状態になったとしたら、やはりそういうことを5年かけて実際にやるくらいの気持ちが大事です。共同生活といっても、お父さん役がいてお母さん役がいてお兄ちゃん役がいてという、家族的な共同生活もあるけれど、友達同士で一緒に住むみたいなかたちもあるだろうし、支援者とマンツーマンで関わるみたいな共同生活もあるわけです。私は当初は本当に家族的な共同生活しか見ていませんでしたし、それを実践していましたけれど、おかげさまで20何年たって、多様な共同生活のスタイルが生まれてきました。この共同生活の場から就職する、通うみたいなかたちにもっていくのも私は重要だと思っています。そういう意味で、私はいつも言うんですけれど、K2は通過点ではないんだと。ある種の到達点であって、ここから人生が変わっていくんだと。

岩本 現在は、6ヶ月くらいの合宿をするコースが基本です。合宿をスタートにしてK2の関連事業で働いたりする塾生もいます。家庭が経済的にサポートできる余裕があれば、2年とか継続してサポートする場合もありますし、経済的に厳しい家庭であればやはりすぐに働かなければいけない。合宿ができなくても、通いに切り替えて働き出したり、という場合もあります。

村上 「中間就労」という言葉を使われていましたけれど、一般的な就労とはどの辺が違うのでしょうか?

岩本 中間就労とはどういうものなのか、という定義付けが日本ではまだまだ曖昧ですが、K2の場合は「ケア付き就労」みたいなスタイルです。K2の中でも、いくつかの中間就労のスタイルがあります。その中のひとつとして、もと塾生で、条件はほとんど正社員と同じなんですけれど、サポートを受けながら職歴を付けるためにK2が経営している食堂などで働いているメンバーがいます。彼らを「Jスタッフ」と呼んでいて、現在30人強ほどいます。そういう働き方が「中間的な就労」です。法律的にはちゃんと普通に給料をもらっていますし、位置づけとしてもちゃんと社員として働いています。その他に有償ボランティアであったりとか、程度としては福祉就労というかたちになっているものとか、あとは研修中でもたとえばビラ配りをして1枚いくらみたいな感じで対価をもらったりとか、これらも広い意味では中間就労と言えるでしょうか。
たとえば、この近くで高齢のご夫婦がやっている銭湯があるんですけれど、もう廃業しょうかという話を聞き、それではK2で掃除をしよう、ということになりました。それだったら銭湯を続けられる、ということだったので、実際は一人分の報酬しか支払われませんが、私たちはそこに2~3名で行って、報酬を分けて、交代で毎日掃除をしています。
このように、いろいろ試行錯誤しながら、少しでも自分がしたことの対価を得ようということを、研修の次のステップとしてやっています。

金森 中間就労というのは、理念がすごく重要なんですね。Jスタッフの理念は、自分たちが何によって支えられ、何によって助けられたかということを考えて、それを今度自分たちがどう助けられるか、支えられるかということを考えて実行するもの、という考え方でやっているわけです。「よし、じゃあ俺はレストランでこうしよう」とか「よし、俺は同じような状況の子どもたちに対してこういうふうな手助けをしよう」とか、やり方はそれぞれだと思うんです、やはり。しかし、決して準社員だとか契約社員だとかという扱いではないんだ、ということが大事です。そこを共有していれば、支援が必要な段階であっても構いません。一般就労は無理だ、という状況の若者でも、私たちは受け入れます。働きを通じて、自分も支援する側に回るんだ、という感覚です。
あるスタッフは、一緒にK2のスタッフが付き沿って病院に月1回必ず行ったりもしていますし、肉体的に他と同じ条件で働けないというので極端に日数を少なくするとか、夜間就労にするとか、本人の条件に応じて働く場を作っています。よく「特別扱い(配慮)はするけれど特別視はしない」と言うんですが、そういう考え方でやっています。本当に朝起きられなくて、どう言っても遅刻をやめられないスタッフもいるんです。でも一緒です。そういう理念に基づいて、状況を受け入れて働けるよう支援をする。だから、一般就労に向かう前の段階という捉え方もあるかもしれないけれど、ここで完結するという考え方もあるわけですね。支援が順送りになる循環が、いちばん重要だと思うんです。順送りしているという意識が、やはり働くモチベーションにもつながります。

時代のミスマッチと生きづらさ

村上 もう20年以上実績があり、かなり大勢の方がこちらに来られて、そして巣立っていった方もいらっしゃると思うのですけれど、最終的にはやはり一般就労を果たしているのですか?

金森 もちろん、そういうケースがほとんどです。だけどそのなかで、一過性でない問題を抱えて、適切な支援者に出会えないままに未だにこもっていたり、非社会的な存在になってしまっている場合もあります、残念ですけれど。元に戻ってしまった、というケースもあります。20何年前の私のかつての教え子がいまはもう40代で、彼らが中心になってK2を運営しているんですが、彼らと同じ頃に私と一緒に元気にヨット航海をし、私と一緒にミュージカルをした若者がその後またひきこもっている、非社会的な存在に戻ってしまった、ということもあります。彼らに対してはすごく想い入れがありますから、折があれば関わりたいし、相談にのりたい気持ちがあります。

村上 先ほど、仕事の資格だとかそういう問題ではない、というふうにおっしゃっていましたけれども、一方で一般の職場もすごく過酷だと思うんですよ。私が教えている大学生のなかにも、就職してすぐ辞めてしまう人もいます。

金森 ものすごく過酷ですよ。今の時代……

村上 こちらで共同生活に慣れて一般就労を目指したとしても、厳しい世の中が待っていると思うんですけれど。そういったことについては?

金森 資格とかスキルを軽視しているわけではないんです。それはやはりもつべきだと思うし、まずは、車の免許を取らせることと高校卒業の資格を取らせることはしています。やはり現実には、最初の段階ではねられてしまうとか、きちんとした職業に就けないとか、ということがあるからです。私はほとんどの若者に、大学に行くことも勧めていますから、放送大学から始まって、今でも30歳になっても40歳になっても大学に行っている塾生・スタッフたちはたくさんいます。ただ、学校だけに行かせるのではなく、働きながら、活動に参加しながら資格を取るということが大切です。決して資格や学歴を軽視しているわけではありません。現実社会がやはりそこではねるし、そういうものを要求しているのが事実であるということはわかります。

村上 しかもそういった学歴や資格があったとしても、その後の出口と言いますか、そこもかなり厳しい……

金森 厳しすぎるくらい厳しいですね。昔はとにかく大学を出ているんだったら、という部分はあったのが、もう全くなくて、要求がすごく高い。学歴もいるし、対人操作ができるとかコミュニケーション能力が高いとか。でもこれは無理なんです。結局、時代のミスマッチなんだと思っています。顕著な例が、最近相談に来た21歳の若者のケースです。彼のお父さんの若い時代を私はよく知っていて、お父さんは「金の卵」と言われて田舎から集団就職で出てきて町工場で働くなどして、働くのに困ったことがないわけですね。その息子と話をしてみると、たとえばコミュニケーション能力が低いいとか、ちょっと人の空気や顔色を読めなくてトンチンカンなことをする、何だか慣れ慣れしい喋り方をする、そういう特徴が父親と同じなんです。でも、父親の方は今はそれなりにいい立場に立っているわけです。その息子が21歳になってハローワークに相談に来たんです。たまたまK2がハローワークに相談ブースを出していたときです。彼は専門学校を出てもちゃんとした仕事がなく、仕事を始めても3日と続かない、という状況です。継ぎはぎでいろいろな仕事をやっていて、自分もいつもこんなのではどうしようもない、と思っているんです。やはり時代のミスマッチみたいなものが、彼らを働きづらくしたり、生きづらくしている。もし20年前だったら彼もじゅうぶんやれただろうなあ、と思うんですよ。

震災被災地支援活動から漁師になった塾生も

村上 被災地の石巻で活動しているということを、ホームページで拝見しましたけれど。

金森 石巻の支援は、石巻出身の私たちの元スタッフが帰郷先で被災していたことがきっかけでした。それを聞いて、みんなで、行って支援活動をしたんです。そこで、もうこれは簡単な問題じゃない、と思いました。この現実はみんなが見なければならない、ということで、現地で家を購入して拠点を作ってやろうよ、ということになったんです。それ以来、毎月10人とか15人とかがそこに行って、塾生も全員が一度は行っています。今は被災した女性が現地のスタッフとなって、こちらからも石巻に住民票を移した正社員がおり、ロングスパンで持続的な活動をしていきたいと思っています。

村上 その支援の内容はどのようなものですか?

金森 震災後一年間はやはり炊き出し中心、瓦礫撤去中心でした。自分たちが得意なのは屋台を出してお好み焼き屋さんをやったりすることなので、炊き出しをして焼きそば、たこ焼きなどを出し続けています。時間があいたときは瓦礫撤去に行ったり、というかたちです。

岩本 K2はお好み焼き屋さんを横浜に3店舗出しているんですけれど、先日、4号店を石巻店に出しました。

金森 4号店といったって、海沿いのところにテントを立てたような店です。漁師たちの「牡概むき場」があるのですが、その横に現地の人と支援者とで店を作り、正式に許可をもらってオープンしました。

村上 そこで働いている方は?

金森 現地のK2のスタッフと、横浜や全国から来た研修中の若者たちです。また、この店は石巻の牡嘱漁師さんたちと協力しながら運営していて、私たちが牡嘱むき場の手伝いもしたりと、一緒にやっています。

岩本 国のモデル事業としての6ヶ月間の合宿型プログラムによって、被災地で活動しています。今行っているメンバーが十数名で、共同生活をしながら働いています。被災地をバンで回る移動居酒屋もやっています。また、「うんめえもん市」といって、被災地の物産品を横浜に持ってきて、物産品とそれを使ったお弁当とかお惣菜を作って市役所や区役所などで販売しています。それが石巻とこっちでの主な事業です。こういった活動から、牡臓の漁師になったり、水産加工会社でインターンを始めたりと、被災地で働く若者が出てきています。

編集部 被災地へ行ったことで、塾生は変わっていきましたか?

金森 そういう例はもういっぱいあります。私はやはり石巻を見たとき、これはもう本物の支援がいると思ったし、塾生も現地に行って自分の目で被災地を見ると衝撃を受けるわけです。本当に感謝されるとか、本当に凄惨な現場を見るというのは大事なんですよ。みんなの感想のなかでそういう内容のことはいっぱい出ていましたし、そのなかで本当に喜ばれるということがわかって、そこにずっと住むと決めた若者が出たりしていくわけです。「俺は今まで何をしていたんだろう」みたいなことを思った若者がたくさんいます。それがかたちとしてどういうふうになっていくか、というのはこれから見ていかなければなりませんが、少なくともそこに関わった者の何らかの変化というのはあります。私だって衝撃を受けました。私はそれを何とかみんなが受け止めるべきだと思ったし、早くからそういうところにみんなを行かせたいという思いはありましたから。
石巻では他の地域でやるよりは圧倒的に成果が出ます。とにかく仕事はあるし、住んでボランティアをしても喜ばれ方が違います。私は石巻で、被災地支援のなかに若者支援というものをきちっと位置づけて、それをビジネスの手法でやっていきたい。石巻で株式会社を立ち上げて、K2のスタッフに社長になってもらって、現地のスタッフに副社長になってもらって、事業としてちゃんとやっていこうということです。横浜でやっているようなことを石巻できちんとやっていければいいな、と思っているし、現にそうなってきています。とにかく地元の人とこんなに熱くコミュニケーシヨンできて一緒にやれたのは、23年間で初めてですから。最初は敬遠されましたけれど、今はもう本当に一緒になってやってくれて、若い漁師たちもみんな協力してくれます。店を作るときも、彼らがみんな来てやってくれました。震災から1年目のときに、横浜のK2の事務所ビルで、1トントラックいっぱい、何千個の牡摘を試食販売したんです。石巻の人もちっちゃい子どもを連れてきて、事務所に一緒に泊って、事務所の入り口でお母ちゃんたちも子どもの面倒を見ながら牡蠣をむいて、お父ちゃんたちが牡蠣を焼いて、楽しかったですよ。石巻の人たちも楽しかった、家族を連れて恒例行事にしたい、と言ってくれています。

村上 さきほど、被災地に行って漁師になった若者もいる、というお話がありましたが。

金森 14歳のころからK2で支援をしてきた若者なのですが、高校卒業を目指そうということで、やっと今年の春に、通信課程を卒業できたんですね。就職するということをいろいろ考えたときに、選択肢のなかで石巻の漁師をやったらどうかという話になって。被災地の漁師さんも、彼を受け入れる、と手を上げてくれました。そのほかにも、「うんめえもん市」の物産品を作っている加工業者の人たちも、K2の生徒をインターンとして、正社員を前提として受け入れてくれています。

岩本 K2の強みは、生活のサポートをしていることです。石巻でも共同生活寮で生活面を見ながら、漁師さんのところに毎日送り出すということができるので、課題を抱えながらでも朝きちんと仕事に行かせるとか、生活面でちゃんとみてあげるとか、問題があったら私たちのほうでサポートするというようなことができるので、漁師さんとしても安心して一緒に仕事できます。それは横浜でも一緒です。市内の企業で働いている塾生もいっぱいいるんですけれど、なぜ続くかといったら、やはり私たちが生活のサポートをしているからです。

金森 働くようになったからおしまい、ということではないんです。働き続けるためのサポートをしない限り、今の若者たちはその先が難しいんです。何でそこまでやるんだ、過保護じゃないか、そんな必要はないと言うのは、現状を知らないからで、そういう考え方からいちど抜けないといけません。本当に今の若者たちは、そこまでやらないとできないくらいの状況になっているんです。さっき言ったように、時代が違う、要求が全部違いますから。「困り感」がないんだから、築き上げたものを平気で捨ててパッと辞めてしまうみたいなところがあるんです。
一人ひとりが責任感をもって、でもなおかつチームでやるという姿勢が、私はすごく重要なことだと思います。「一人にさせない、抱え込まない」というのが私たちのルールなんです。支援者、スタッフにはみんな、これは守ってもらいます。「孤独」ではなく、「孤立」させない。自分が支援している若者に対して想いをもつことは大事。でも、too muchになっちゃう。抱え込んでしまう。「俺がいなきゃ、私がいなきゃ」というような状況になってしまったときに、必ず問題が起こります。それは絶対にしない。必ずチームでやるんだということが大事、それが鉄則です。

要支援世帯の実情と「使えない」制度

金森 貧困の問題で言えば、A君という典型的なケースが一つあるんですけれど。岩本の方から、どういうケースなのかをご説明します。

岩本 A君のケースは、ご本人に同意を得ていろいろなところで紹介しているのですが、厚生労働省のいろいろな部署の方にも、このケースを土台にちゃんと「生活支援戦略」(注2)を実のあるものにしてほしい、と訴えています。K2は厚労省からの委託事業で地域若者サポートステーション事業を運営していて、定時制高校へアウトリーチ活動をしているのですが、そこでA君と出会って支援するようになりました。かなりの生活困窮家庭であることはわかっていました。本人は自立したいし家を支えていきたい、働かなきゃいけないと思っています。でも、バイトをしたこともあるけれど、なかなか続かない。サポートステーションに来なくなっちゃったな、おかしいな、と思っていたら、母親がやって来て、最近ひきこもって家で寝ている、何とか出したいというようなことを聞きました。
そのとき聞いた話では、これまで生活保護を受けていたこともあるけれども、今は受けておらず、日々の生活費もない。一時は電気・ガスも止まっていました。母親は現在働けるような状況でもない–本人はそのような状況の中で生活していました。自ら困っていることを伝えることがうまくできないために、行政機関はそういった状況をちゃんと把握できていない様子でした。
結局、A君はK2で預かり、サポートするようになりました。高校は何とか出ても、働くための力というのは全然ついていなくて。今の制度ではもう彼を生活保護でしかサポートできないのですが、いったん生活保護に入ってしまうと、そこから抜け出すのがすごく大変なんですね。私たちも何とかそれ以外の制度を、ということでいろいろなところにかけあったりして、厚労省にもその話をしたんです。やはりこういう若者をちゃんと自立に向けてサポートしていく、単に生活保護で生活を守るだけではなくて、自立に向けて徐々に力をつけていくためのステップを作れないのか? ということを。現在、膨大な計画の生活支援戦略がありますが、その枠組みではこの親子はサポートできないんです。この親子がきちんと自立に向かっていけるようにしてほしい、といろいろなところで提起しているんです。

編集部 A君が合宿に入って訓練を受ける費用はどのようにまかなわれるのでしょうか。

岩本 K2の自主事業として運営しているプログラムにのっていますが、生活費のアパートの部分と食費などの基本生活費は現在、生活保護費の中から出してもらっています。以前は国の制度として「若者自立塾」という若者の合宿型のプログラムがあったのですが、事業仕分けでなくなってしまったので、訓練部分をまかなえるプログラムがなくなってしまったんです。

編集部 2011年から始まった、国の求職者支援制度(注3)は使えないのでしょうか。

金森 それが、私たちみたいに困難度の高い若者の支援というかたちの活動を行っている団体には、実際は利用できない状況です。いかにも学校みたいなかたちで、こういうカリキュラムのなかで講義形式の授業にこれだけ参加すれば修了できる、資格をとれる、という形態にしないと使えないんです。私たちのところに相談に来る若者たちは、それ以前の段階で苦しんでいるのに、求職者支援制度では、まるで学校に通って資格を取ったらすぐに就職できて、あくる日からネクタイしめて会社勤めができるみたいなことを謳っています。それは違うのではないでしょうか。今本当に問題になっているのは、そういうことができる若者たちではないと思います。

岩本 求職者支援制度の前身の基金訓練(緊急人材育成支援事業)(注4)のときは、一部、合宿型のプログラムも対象とされていたのでK2も活用していました。A君にもこの制度のコースを受講できるか相談しましたが、欠席が数日続けば給付が打ち切られるので、やめたほうがいいと言われてしまいました。基金訓練で合宿型若者自立プログラムを実施できていた2年前が、低所得者層ではあるけれど生活保護受給者ではない、くらいの層がいちばん私たちのところに来られた時代でした。費用がほとんどかからないかたちで受け入れられたので、効果もすごくあがっていました。でも求職者支援制度として恒久化制度になったときに、より就職率を重視する方向になってしまって。

金森 すぐに就職できる層は、いわば「エリート」とも言えます。そういう若者を対象にして、成果を就職率で見るというのは、全く現状に合っていません。

村上 求職者支援制度が使えるのは、パソコン教室みたいなところが多いですね。

金森 そういう所がどんどん名乗りを上げて、制度に乗れる、ということです。

岩本 現実的には、そういう所しかやれない。パソコン、専門学校、ヘルパー、そういう所しかこの制度を利用できないんです。

村上 たぶん、そこに出席できる人であっても、コースを終えて就職できるかどうかはまた別問題ですね。

金森 そうです、またそれは全然別です。やはりスキルじゃないんです。促成栽培では無理なんですよ。技術さえ身につけてやって、資格さえとらせてやれば何とかなるみたいに思われているんだけど、私はそんなものではないと思います。まさに資格とか技術なんて、どんどん陳腐化しています。これだけスキルがあります、と言っても、それでどうにかなるのでしょうか? 世の中はどんどん日々日進月歩していって、スキルは陳腐化していっているわけです。でも、そのなかで陳腐化しないものがあるのです。何かと言ったらそれはやはり、あの人は気が利くとか、あの人は不器用だけど人に優しいとか、当たり前のことを当たり前のようにやってくれるということの方が、すごく職場としては大事だったりする場合があるんですよ。だから本当にそこの部分をきちんとサポートするべきです。K2にいる若者にも、1年半くらいアルバイトみたいなかたちで関連事業の学童クラブの仕事をやって、28歳で初めて保育士の資格を取る、といった例もあります。こういったことが、いちばん確実だと私は思っています。保育士の資格があるからそういう仕事ができるのではないんだ、と。

村上 大学生の就活についてですが、落とす側の社員の人事部の方とかが、学生時代そんなに高い能力を本当にもっていたのか? というと、たぶんそんなことはないですしね。学生を見ていると就活は本当に厳しいと思うし、いざ就職となっても、納得しないまま就職しちゃって、働いてみるとこんなはずじゃない、ということで辞めてしまう。

金森 そういったケースはとても多いですね。

岩本 K2にも、資格をもった若者がいっぱい来ます。中には弁理士や建築士等々の資格もあり、本当にびっくりするくらいです。

村上 それでもなかなか就職には結びつかない?

岩本 逆にそれが足かせになってしまう例がありますね。あなた、それできるんでしょう?とやはり言われて、でも資格をもっていても実務経験がないので仕事ができず、できないから辞めてしまうとか。辞めて家にいるので、また新しい資格を取って、何十個も資格をもっているとかいうケースもよくあります。

村上 そういう方は、ご自分で、相談に来られるんですか?

岩本 先ほどの例では親御さんが来られたんですけれども。1年くらい合宿生活して、私たちの紹介でいろいろなところに研修にも行きましたけれど、やはりできないんです、事務的なこととか。最終的には、研修先の方の紹介で、ガソリンスタンドに勤めましたが、その後は社員としてずっと続いています。自分は体を動かしていたほうが気持ちいいと思った、ということで、本人も楽しく働いています。

金森 そういう状況の若者が、ただゲームばかりして頭でっかちで、何か資格を取って就職するっていっても、面接で話し出すとボロがどんどん出てしまう、みたいなところがあるんじゃないでしょうか。経営者にしたって今は、右肩上がりでこの若者に賭けてみようなんて時代ではないですから、切実さは感じる、だけど君の本気さは感じない、ということになります。私も人を採用する側であったりもするわけですから、わかります。
社会構造の変化とか、いろいろな問題があるんだな、とは思いますけれど。

「コミュニティのなかのコミュニティ」を作りたい

村上 国や自治体の政策として、いろいろなものを利用されていると思うのですけれど、これからさらに将来的にこういうところをもっと支援してもらいたいとか、そういうことはありますか?

金森 そうですね、私たちの事務所の近所の未利用の古い建物などを寮として活用できるようにしてほしいと思っています。今、横浜のこのあたりで、私たちのスタッフ・生徒併せて100人前後がいろいろなかたちで住んでいるわけです。私の理想は、この近辺でK2の若者たちが本屋をやっているとか、蕎麦屋をやっているとか、というかたちになればと思います。今でもそうなんですけれど、お好み焼き屋さんとか、食堂とかやっていて、売り上げが悪いときは、連絡がきて、みんなで食べに行くわけですよ。そういう、緩やかな「コミュニテイの中のコミュニティ」を作りたいですね。そのためには、独立した部屋を一人ずつ確実に提供して、なおかつ自分たちのノウハウを持ちながら、サポートし続けられる、そういう体制を作りたいと思います。そのために私は今ぜひ要望したいことは、このあたりで眠っているJRの寮だとか、国が施策上使わなくなったものがあるんです。そういうものを有効に活用させていただいて、そこを単身寮みたいなかたちにできれば、と思っています。「若者寮」みたいなものをちゃんと作る。今は「若者支援」だけではなく「中年支援」も必要だと言われるようになっており、そこもしっかり行っていくべきだと思います。
そこから次には「老年支援」という話になってきます。K2の若者の父兄たちもこの辺に住んで、自分の子どもと一緒には住まないけれど、何かちょっと協力し合う、みたいなかたちでゆるやかにサポートし合えたらいいと。具体的には、このへんにある古いアパートを買い上げてもらうとか。今、民間のものでも公共のものでも眠っている施設・宿舎や寮だとかいっぱいあります。そこにそういう人たちが入って、独立性やプライパシーを守ってあげながら、だけどちゃんとしたサービスをしたいんです。それができるよう、私はぜひとも要望するつもりです。K2内の「家族の会」にも、みんな早めにこの近くに移り住んで来ませんか、とか、こっちでマンションを買いませんか、とか言っています。「あなたたち、自分の息子に面倒見てもらえると思う?」と言うと、「それは無理です」となります。息子の立場だと、「やはり自分はできない、稼げないけれど、親のことは何とかしないといけない」と思っているわけです。そういう希望に対してちゃんとコーデイネートしていく、ということは大事だと思います。親子だけで生活することの失敗を経験した人たちなんだから、それを繰り返してはダメ、と言っています、私は。ここはきちっと支援者が間に入ってやるべきです。ある親御さんが「私はお金がないから、こっちに住むといってもまた大変なんだ。何か格安のかたちでアパートでもあれば、自分は移り住んでここから仕事に行きたい」みたいなことを言っているのを聞いて、私の言うことはポイントを外れていないな、と思いました。一から箱モノを作るという気は全然ないんですが、現にここらへんで、何年も宙ぶらりんになっているような家があるので、そういうのを有効に活用したいな、と思っています。

村上 もうひとつお聞きしたいと思います。先ほどちょっとお話がありましたが、生活保護世帯よりもちょっと上の、いわゆるボーダー層といいますか、その辺の支援がしにくくなっている、というようなお話でしたけれども、その辺のプログラムについては?

岩本 今の制度では、「生活保護か、全額自己負担か」みたいな両極端のかたちですね。
生活費をみるという部分に関しては、たとえば金森が言ったように、住まいだけでも提供してもらえれば、あとは自分で食費分は稼ぐとか、生活を築くなりはできるかもしれないですけれど。私たちの団体にいくらお金をもらっても、それが今のパーソナルサポート事業なんかだと、本人に直接給付はできません、相談員を雇ってください、ということになります。でも、臨時雇用でそんなに相談員を入れて一生懸命話だけ聞いてあげたって、それは何の成果にもならないと思うんです。私たちは、就労初期(16歳~25歳くらい)のサポートを徹底的にすべきだと思います。海外の例でも、若者手当など若者に手厚く支援する制度がありますが、特に、職業訓練中の生活費給付や交通費の給付などは有効です。働こう、という意欲のある若者の生活費をみてあげて、自分の努力で働いてプラスになったものは本人のものにする、とかというようなものがないと。

金森 今は、せっかくやる気になっても、稼いだら全部、生活保護から減らされてしまう。それではやる気をなくしてしまいます。単純に考えても、一生懸命働いたってゼロなんて言われたら。やはりその人が貧困から抜け出すために、また、生活保護から抜け出すために働いて、そしてそれで得たものに関しては少なくともそれをストックさせて、その人が本当に生活保護から外れるときにきちんとそのお金を貯蓄として活用できる、というようなことをすれば、希望がもてますから。今だと抜け出したら損、というイメージがあるから、なかなか出ようとしません。抜け出すと得だよ! という感覚を作っておかないと、尊厳がどんどん損なわれていってしまいます。貧困の連鎖が起こります。そういう社会って最低ですよね。勉強もしないし、モチベーションももたないですから。そういう親を見た子どもはまた同じようになります。政策的にもやはりそれはきちんと整えてもらって、生活保護の者が抜け出しやすいようにしてほしいと思います。それはやはり、将来に希望をもつということですよ。制度を作る人は、本当に現場の人の意見をよく聞いてもらわないと駄目だと思います。私たちの意見をしっかり聞いてもらって、制度設計していただきたい。そういうふうに思います。


1 若者自立・挑戦プラン 2016年度までに若年者の職業的自立を促進し、失業者等の増加傾向を転換させることを目的として、文部科学大臣、厚生労働大臣、経済産業大臣、経済財政政策担当大臣が2003年にまとめたプラン。教育・雇用・産業政策の連携を強化し、官民一体となった総合的な人材対策を強化する、と謳った。

2 生活支援戦略社会保障・税一体改革大綱(2012年2月に閣議決定)に盛り込まれた政府の戦略。生活困窮者対策と生活保護制度の見直しに総合的に取り組むことを目的としている。2012年6月に公表された「生活支援戦略(骨格)」では、経済的困窮や社会的孤立状態にある生活困窮者をめぐる問題が深刻化しているという認識の下、「参加と自立」を基本とし、人々が社会的に包摂される社会の実現や多様な能力の開発とその向上による活力ある社会経済の構築を目指すとしつつ、生活保護に関しては国民の信頼に応えるため給付の適正化を進めるとしている。

3 求職者支援制度 雇用保険を受給できない求職者に対し、無料の職業訓練と一定の要件を満たす場合に訓練期間中の生活費を支給する制度で、2011年10月1日に施行された。

4 緊急人材育成支援事業 雇用保険を受給できない求職者に対する新たなセーフティネットとして2009年に開始された事業。「緊急人材育成・就職支援基金」を活用し、職業訓練を拡充するとともに訓練期間中の生活保障として「訓練・生活支援給付」を支給するもので、稼働層を対象とした生活保護受給に至る前の新たな生活保障制度として期待され、2011年10月より求職者支援制度に引き継がれた。

金森克雄(かなもり・かつお)
K2インターナショナルグループ代表。1988年より、不登校・ひきこもり家庭内暴行力など、生きづらさを抱える子どもたち、若者たちに対して、自信をとりもどし、彼ら自身の生き方を模索・構築できるよう支援活動を行ってきた。
また、若者たちの経済的な自立を支援するための働く場づくりでも、設立当初よりお好み焼き店などを数多く展開している。

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